あたりまえ。
みやぞんの底抜けの思いやりには脱帽する。あそこまで底抜けは、そうそういないだろう。みやぞんの「大丈夫です。」は疑いをもたず聞ける。
何故なら
「大丈夫じゃないです~。」
を、言えてる。あたりまえに言ってる。あたりまえをあたりまえに言ってる。
驚く事ではないけどラッコは思う。時に我々は
「大丈夫」
と
「大丈夫」
ではない時にでも言っている。
「大丈夫じゃないです~。」
と言ったらどうなるか、とてつもなくめんどうな仕組み。
「大丈夫じゃない」
「了解」
で終われば過ごしやすいと思う時があるのは確かだ。
もしくは引くぐらいみやぞん並に「ピュア」でいけば、逆に楽しくなるのだろうか?
ラッコは無理だろう。
底を抜かすほど「ピュア」ではない。
「平」
である。
レジの列を横入りするもんなら
「あの人横入りしてる~」
と、最高の音声で言う子供のほうが
「部長並」
である。
あたりまえをあたりまえに言える。
「普通は~」だの、「大体は~」だのではなく
あたりまえに、あたりまえをサラッと言える事は素敵だと思う。
底抜けピュア、みやぞんは言った。
僕を見て「自分ももっと頑張ろう」と、絶対思わないで下さい。みなさんはすでに「頑張ってるんですから」
「素敵」です。
ラッコも自然な「部長並」になりたいものだ。
おわり。